9月21日に開催されたイベント「沼る!奥柳ヶ瀬夜市」
ダウンタウンの某番組で西柳ヶ瀬は“日本一のシャッター街“と悪しき称号が付けられました。
そんな西柳ヶ瀬を新たに“奥柳ヶ瀬“とブランディングしていこうと立ち上がったプロジェクト。
今回は「TEAM酷道と行く!西柳ヶ瀬プレミアムツアー&面影上映会」に参加しました。
参加料金が1万円と高額にも関わらず1日で満員。
お金を払って廃墟を見たいという物好きな方が一定数存在します。
面影上映会の会場はグランベール岐山。
立派な会場でまさにプレミアムな上映会でした。
柳ヶ瀬五丁目にあるこちらの建物は「柳五ビル」
1975年(昭和50年)に完成。
ビルの2階で柳ヶ瀬浴場が営業してました。
特殊浴場ではなく普通の銭湯です。
2008年まで?
元々の柳ヶ瀬浴場は、板垣退助岐阜遭難事件の翌年の1883年(明治16年)に開店。
当時は柳ヶ瀬一帯に銭湯が6軒あったという。
柳ヶ瀬浴場は3代続く銭湯でしたが、施設の老朽化とオイルショックの影響で経営不振に陥り1973年(昭和48年)に閉店の危機に陥ります。
「柳ヶ瀬唯一のお風呂屋さんを残して欲しい」という陳情が相次ぎ、3代目の経営者がビルを新築し再出発。
ビルにはキャバレーやマージャン店など15店が入店し、テナント料で銭湯の経営を支えていました。
利用客は近隣飲食店の経営者、ホステス、ボーイとその家族、酔い覚ましのお客さんが多かったそうです。
自分が子供の頃は近所の銭湯に行ったことがあります。
懐かしい脱衣所。
ケヤキ作りの脱衣箱は終戦直後に作られたそうです。
脱衣かごも久々に見ました。
壁には昔の重要指名手配犯のポスターも貼ってありました。
昔ながらの銭湯行くと大抵貼ってありました。
コインドライヤー。
10分100円だったかな。
大きな木の箱のようなのはサウナらしい。
初めて見ました。
中はコンパクトなつくりの銭湯。
洗面所側に排水用の溝が切られています。
もし性病のお客さんがいた場合に、他のお客さんにうつさないためらしい。
自分は気づきませんでしたが浴槽の底にはなぜか照明もあります。
入り口近くにある掛け湯をする場所。
こちらも性病を他のお客さんに移さないための目的。
1888年(明治21年)から1944年(昭和19年)まで西柳ヶ瀬の場所には金津遊郭がありました。
現在、JR岐阜駅南にある金津園の前身。
戦後も金津遊郭時代の名残りは西柳ヶ瀬に残っていたと思われます。
グレーな面が西柳ヶ瀬の潤いに貢献していました。
2012年(平成24年)に開催された岐阜国体。
クリーン作戦により大きなダメージを受けたのでは。
懐かしいケロリンの桶。
子供の頃は怖くて入れなかった電気風呂。
大人になった今はむしろ積極的に入ってみたい。
体の凝りが芯からほぐれそう。
ボイラー室にも潜入。
想像以上に大掛かりな機械でした。
パイプ類もたくさん。
現代は各家庭にお風呂があるので銭湯に行くことがないかもしれません。
かつては柳ヶ瀬界隈の人々の暮らしに密着していた銭湯を見ることができて貴重な体験でした。
もし、今後も「沼る!奥柳ヶ瀬夜市」が継続して開催されるのであればぜひ。
柳ヶ瀬最後のキャバレー「ムーランルージュ」
今回のプレミアムツアーでも行きました。
ムーランルージュのキャストやお客さんも柳ヶ瀬浴場に入りにきていたかもしれません。
奥柳ヶ瀬といえば「まさご座」
東海地方唯一で日本で2番目に古いストリップ劇場。
風営法により今後新たにストリップ劇場をオープンすることはできません。
気になるけど入りづらいという方は、一度は入っておいた方が良いです。
沼ります。