2025年度から始まるツインタワービル建設工事。繊維問屋街の一部解体へ。

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2025年度からJR岐阜駅北側でツインタワービルの建設工事が始まります。

金華橋通りを挟んで東と西に高さ130メートル、34階建てのビル。

こんなにマンションばかり建てて需要があるのか?という気もしますが。

それに伴い、繊維問屋街の一部が解体されます。

ツインタワービルが建つ箇所を上から眺めると大体この辺り。

1945年(昭和20年)7月9日にあった岐阜空襲。

アメリカ軍による無差別攻撃により岐阜市の中心市街地は焼け野原に。

終戦から1年経っても防空壕で暮らす人が相当数いたという。

 

1946年(昭和21年)11月、岐阜市公会堂(現・岐阜市民会館)で「ハルピン地区引揚民大会」が開催されます。

 

「夢多かったわれわれは国策にそって大陸へ渡った。ところが敗戦であれだけの犠牲をはらい、虐待を受け、着のみ気のままで逃げ帰った。そんなわれわれにも人なみの生活をする権利がある。今のわれわれには団結以外にない。生きんがために力を合わせて商売に打ち込もう」

「問屋町の歩み」より

 

こう熱く語るのは、この大会の発起人である高井勇。

現在、金の信長像が建っている広場の辺りで古着を売り始めたのが繊維問屋街の始まり。

物資に乏しい戦後。

岐阜に行けば古着が買える、売れると評判になり全国的な古着集積地になりました。

現在の繊維問屋街の礎を築いたのは高井勇。

JR岐阜駅の北口を出ると目に飛び込んでくるのが広告群。

駅前広告はある意味名物。

自分は通る度に温度計をチェックしてます。

この建物はまるっと解体されます。

この広告群が見られるのも今年度中。

“ハルピン”の名称が残る建物。

ハルピン街と呼ばれた戦後の闇市。

当時の名残を感じます。

西側の中問屋町。

クネクネしたアーケードが面白い。

レトロピア岐阜を読んで写真を撮りにきた方も多いのでは。

昭和を感じるお店の看板や増改築された建物など見所が多い。

 

「柳ヶ瀬日常二ナーレ」で開催されたプログラムで繊維問屋街研究体によると、この道は私道。

戦後、問屋町は行政による整然とした区画整理が行われる一方で、中問屋町では独自の区画整理。

戦後復興の姿がそのまま残っている貴重なエリア。

この写真に映っているエリアも解体されビルが建ちます。

2025年度からツインタワービルーの工事が始まるということは、3月末頃には白い壁等で囲まれてしまうと想定されます。

高島屋南地区の時のように。

 

工事エリアを散策したり写真を撮れるのはあと数ヶ月しかありません。

前から気になっててまだ行けてない方、記事を読んで興味を持たれた方はお早めに。