【滋賀県】羽柴秀吉と柴田勝家が織田信長の後継者を争った『賤ヶ岳』

「ようこそ!戦国の聖地長浜」

2026年に放送されるNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」

豊臣秀吉の弟・秀長が主人公。

今回、豊臣兄弟の天下取りの過程の中で、聖地中の聖地である滋賀県長浜市の賤ヶ岳(しずがたけ)に行ってきました。

 

1583年(天正11年)に起きた「賤ヶ岳の戦い」

1582年(天正10年)に起きた「本能寺の変」の後、織田信長の後継者争いが勃発。

「清洲会議」で柴田勝家と羽柴秀吉の対立が激化。

柴田勝家は織田家の筆頭家老、羽柴秀吉は明智光秀を討った大功労者。

清須会議

清須会議

  • 役所広司
Amazon

三谷幸喜監督の映画「清須会議」を見ると、勝家は評定という名の戦いに敗れ、はらわたが煮えくりかえる様がよく分かります。

そんな勝家が賤ヶ岳で秀吉との戦いに挑みました。

「豊臣兄弟!」では柴田勝家を映画「侍タイムスリッパー」でおなじみの山口馬木也さんが演じます。

 

大河ドラマの放送が始まったら混雑するかもしれません。

興味のある方は放送前に行かれてみては。

初めて行く方におすすめなのは「賤ヶ岳リフト」

約6分で山頂まで行けます。

リフト乗り場の近くにある第1駐車場(26台)

ここが空いていればベスト。

空いてなければ第2駐車場もあります(40台)

駐車場にトイレと自動販売機もありました。

山頂には自動販売機がないので水分調達するならここで。

賤ヶ岳合戦で活躍した7人の武将。

「賤ヶ岳七本槍」と呼ばれています。

福島正則、加藤清正、片桐且元、脇坂安治、加藤嘉明、平野長泰、糟屋武則の7人。

脇坂安治といえば、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで、小早川秀秋が寝返った後に続いて寝返り大谷吉継の陣を攻撃。

裏で話ができていたのか勝ち馬に乗るのが上手な武将。

 

JR木之本駅から徒歩30分。

駅前に24時間無料の駐車場がありました。

土日祝は無料シャトルバスも運行されているようです。

www.shizugatakelift.jp

リフト乗り場。

【営業時間】9時から17時

【料金】大人 900円(往復)500円(片道)

小学生 500円(往復)300円(片道)

幼児無料

静かな山の中を通りあっという間に到着。

少し歩くと賤ヶ岳の山頂へ。

武将の顔ハメがあちこちにありました。

記念撮影にいかが。

拓けた山頂。

想像してたよりも広かったです。

まず琵琶湖の眺めが抜群。

昔、車で琵琶湖を1周したことがあります。

特に湖北エリアが美しく気持ち良かった。

当時走っていた道路も上から見下ろせました。

かかれー!

賤ヶ岳では、琵琶湖だけでなく北側にある余呉湖も見下ろせます。

2つの湖を眺められるレアスポット。

賤ヶ岳の戦いでは、余呉湖の北側に柴田勝家、南側に羽柴秀吉が布陣。

織田信孝が反乱を起こしたこと知り、兵を半分残し秀吉は美濃へ。

そのタイミングで勝家は攻撃を開始。

すぐに秀吉は賤ヶ岳に戻り勝家を攻撃。

“美濃の大返し”と呼ばれます。

 

勝家は北ノ庄城へ退却。

後に自害へ追い込まれました。

山頂には、戦いに疲れた武将の銅像がありました。

賤ヶ岳の戦いに勝利した秀吉は天下取りへ大きく前進。

1590年(天正18年)に関東と奥州を平定し天下統一を果たします。

1591年(天正19年)に弟の秀長が病死。

 

その後の秀吉は世界進出を目論みます。

1592年から文禄の役、1597年から慶長の役。

明・朝鮮軍との戦いへ。

慶長の役の最中である1598年に秀吉は亡くなります。

 

文治派と武断派との対立はその後の関ヶ原での合戦につながっていきます。

秀吉に唯一文句を言えるのが秀長だけだったそうです。

もし秀長がもう少し長く生きていたら朝鮮に出兵したかどうか分かりません。

歯止めが効かなくなったのは間違いありません。

 

歴史に興味がない方でも、湖が綺麗なのでおすすめします。