久々に各務原市にある「内藤記念くすり博物館」に行ってきました。
1971年(昭和46年)に内藤豊次により開設されました。
内藤豊次はお隣にあるエーザイの創業者でもあります。
チョコラBBなどが有名な会社。
内藤豊次(1889-1978)
現在NHKで放送中のドラマ「あんぱん」
やなせたかしと内藤豊次は関わりがあります。
1940年(昭和15年)東京高等工芸学校図案科を卒業したやなせたかしは、田邊元三郎商店(現・田辺三菱製薬)に入社。
デザイナーとして宣伝部に勤務。
この時に田邊元三郎商店の常務取締役新薬部長だったのが内藤豊次。
めちゃめちゃデキる人で頑張りさん。
彼の詳しい生涯は博物館に来れば分かります。
梯久美子さんの「やなせたかしの生涯」の中に、デザイナーとしての仕事ぶり、内藤豊次も登場します。
当時、この会社の経営陣に、新薬開発に手腕を発揮した内藤豊次という人物がいた。のちに製薬会社エーザイの創業者となる内藤は、宣伝を重視し、陣頭に立って指揮をしていた。広告のキャッチコピーや原稿、企画に徹底的にダメ出しをし、自分の手で朱筆を入れる。出来が悪いと大声で叱り、インキ瓶を投げつけることもあった。
その厳しさは「内藤広告塾の鬼のシゴキ」と恐れられ、文案を書いていた社員の中には、ついに退社してしまった者もいる。
内藤が厳しかったのは企画や文案に関してだけで、デザインやイラストなどについては口を出さなかったので、嵩たちデザイナーはのびのびと仕事をすることができた。
厳しい環境ながらも充実したデザイナー生活を送っていたようです。
当時は小さな会社だった田辺製薬。
一緒にランチを食べていたかもしれません。
ドラマでどんな風に描かれるのか楽しみ。
田邊元三郎商店でのデザイナー生活は1年も続きませんでした。
1941年(昭和16年)1月、嵩のもとに召集令状が届きます。
陸軍に入隊し5年に及ぶ軍隊生活を送ることに。
古代中国の想像上の神獣「白沢(はくたく)」
6本の角と9個の目。
人の言葉を理解し病魔を防ぐと信じられてきました。
江戸時代後期にコレラが流行した時には、白沢の絵が売り出され、身につけていたそうです。
館内は撮影もOKでした。
現代でもドラッグストアで販売されている「葛根湯」
風邪に初期に飲むと効くとされます。
葛の根を主成分とした代表的な漢方薬。
葛根湯の起源は紀元前200年。
遣隋使・遣唐使らによって日本に中国医学が伝来。
鍼灸など日本は西洋医学よりも東洋医学との歴史が長い。
世界で初めて全身麻酔による外科手術を行ったのは、日本人の華岡青州。
1804年(文化元年)に全身麻酔薬「麻沸湯(通仙散)」を用いて乳がんの手術。
日本の方が早かったことに驚きました。
欧米で全身麻酔手術が行われたのは40年後。
全身麻酔が行われたのは比較的近年。
それまでは麻酔がなかったということ。
自分も歯の親知らずを抜く時に麻酔がない状態を想像するとぞっとします。
先人の研究努力に感謝。
昔の薬づくりの道具も展示されてました。
当時の製造方法を再現した映像も鑑賞できました。
当時はずべてが手作業。
職人の世界。
富山の薬売り。
現代でも配置薬を利用する方が多いのでは。
まず薬を一式預け、使った分だけ後払いする「先用後利」の商法は富山発祥。
人里離れた地域に住む方、十分な医療に恵まれない方にとって心のよりどころになったそうです。
大人になると、何らかの薬を飲んでいる方が多いでしょう。
そもそも薬はどうやって作られてきたのか、その成り立ちを知るのも面白い。
薬学の進歩により助かる命が増えたのは事実。
その一方で貝原益軒は「養生訓」の中で「むやみに薬は飲むな」「薬より養生」と戒めてます。
博物館の中で薬との付き合いを考える良いきっかけになりました。
これだけ質の高い展示を無料で鑑賞できるのがすごい。
大人の博物館。
外には薬草園があります。
四季折々の薬草を見学できます。
それぞれの薬草の効能も書かれてます。
ドライストーンウォーリングの技法を用いたタワー型花壇。
モルタルなどの接着剤を使わない英国式伝統石積。
【開館時間】9時から16時30分(最終入場は16時)
【休館日】月曜、年末年始
【入館料】無料
【駐車場】北側30台、南側30台、バス5台