【岐阜市】織田信長とゆかりのある『円徳寺』

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」

織田信長を演じるのは小栗旬さん。

来年は美濃国でもパレードして欲しい。

 

岐阜市神田町にある「円徳寺」に参拝してきました。

岐阜駅と柳ヶ瀬の間にあります。

織田信長との関わりが深いお寺。

お寺の前では食料品の販売。

1567年(永禄10年)稲葉山城(岐阜城)に入城した織田信長は、城下町の振興をはかるため、旧来からあった円徳寺寺内楽市場を改めて認め、商工業民の自由な活動を保障するため「楽市楽座」の制札を出しました。

織田家の「織田木瓜」の家紋。

1564年(永禄7年)に織田信長から寄進されたとされる鐘。

「伝織田塚改葬地」

1776年(安永5年)に織田塚から改葬されたと伝わります。

1547年(天文16年)信長の父・信秀が斎藤道三と戦うも約5000人が討ち死にし大敗。

戦死者を葬られました。

その時の戦は「信長公記」にも記されていました。

 

すでに暮れ方、申の刻になって軍勢を撤退させることになり、諸隊の兵が半分ほど引き揚げてきたところへ、斎藤道三の軍勢がどっと南へ向かって切りかかってきた。応戦したが、多くの兵が崩れたってしまったので、支えきることができず、信秀の弟織田信康、織田因幡守・織田主水正・青山与三右衛門・千秋季光・毛利淳元・長老寺沢又八の弟、毛利藤九郎・岩越喜三郎をはじめとして、歴々五千人ほどが討ち死にした。

 

討ち死にした人数については諸説あるようです。

いずれにせよ信秀が成し得なかった美濃国の攻略。

斎藤道三の壁。

信長は美濃国をどうしても制したかったことでしょう。

織田秀信のかみきり塚。

秀信は信忠の長男。

幼名は三坊師。

本能寺の変の後「清須会議」でわずか3歳で信長の後継者となることに。

羽柴秀吉が後見人に。

清須会議

清須会議

  • 役所広司
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「清須会議」は映画化されています。

信長亡き後の激しい主導権争い。

 

秀信は岐阜城の最後の城主でした。

1600年(慶長5年)に起きた「岐阜城の戦い」

関ヶ原の戦いの前哨戦。

石田三成の誘いで西軍につくことになった秀信。

東軍の部隊は江戸にいた家康の西上をうながすため、西軍の拠点であった岐阜城を攻略し合戦の口火を切ろうとしていました。

 

激しい攻防の末、池田輝政や福島正則らの軍に捕えられた秀信は上加納の浄泉坊(現円徳寺)に移されます。

そこで剃髪させられ高野山へ追放。

1605年(慶長10年)に25歳の若さで病死。

落城した岐阜城は廃城に。

秀吉との絆を考えると秀信が西軍につくのは必然。

悲し過ぎる秀信の末路。

豊臣兄弟で美濃国の部分がどれくらい描かれるのか興味津々。

信長ファンの方、岐阜駅からちょっと歩いて参拝されてみては。