
岐阜市役所の近くにある美江寺公園。
夏に猛暑日になるとニュースに出てくることがあります。

1925年(大正14年)から1946年(昭和21年)まで岐阜市長だった松尾国松の像。
美江寺公園に像があったとは。
1885年(明治18年)にオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導により農業用ため池。
1891年(明治24年)の濃尾大震災で堤体に亀裂が入り貯水できなくなりました。
1932年(昭和7年)に松尾国松が修復を手がけたことから「松尾池」と呼ばれるようになりました。

今年の6月、公園の片隅に黒城城主・加藤貞泰公生誕の地の案内看板に設置されました。

加藤貞泰(1580-1623)
加藤光泰の嫡男。
父・光泰は斎藤龍興、織田信長、豊臣秀吉に仕えました。
金ヶ崎、姉川、小谷城など秀吉が出陣した戦場の多くに参戦。
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では名前のクレジットは入ってませんが、映っている兵の中の1人かもしれません。
24万石の甲府城主となるも、文禄の役で病死。
光泰の娘は竹中重門に嫁いでいます。
重門は半兵衛の息子。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い。
加藤貞泰は竹中重門、黒田長政(松寿丸)とともに参戦。
東軍の勝利に貢献しました。
加藤貞泰が布陣した岡山峰火場。

なぜ美江寺公園に案内看板が設置されたのか。
貞泰生誕の地は現在の岐阜市橋詰町。
公園のすぐ南。

現在は法律事務所が並ぶエリア。
電柱には「橋詰町」の文字。
貞泰ファンの方は、黒野城と併せて美江寺公園にも訪れてみては。
おとなの夜学「黒野の歩き方A面からB面まで」
「黒野城と加藤貞泰公研究会」の河口会長がA面を担当。
岐阜関ヶ原古戦場記念館の小和田館長が黒野城跡を解説。
2本の動画を視聴すれば黒野博士になれます。