慶長5年(1600年)8月22日に起きた『竹ケ鼻城の戦い』

 

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羽島市歴史民俗資料館・映画資料館。

この辺りにはかつて「竹ヶ鼻城」があったとされます。

竹ヶ鼻城は室町時代の1467年から1469年に、美濃の守護・土岐氏に仕える竹腰伊豆守尚隆が築きます。

歴代の城主は9人。

天正12年(1584年)には、豊富秀吉から水攻めに。

秀吉が備中高松城の次に水攻めを行ったのが竹ケ鼻城。

堅牢なお城だったようです。

 

最後の城主は織田信長、信雄に仕えた杉浦五左衛門重勝。

慶長5年(1600年)にあった天下分け目の戦といえば「関ヶ原の合戦」

東軍は西軍の前哨拠点をつぶす木曽川越えの総攻撃を仕掛けます。

8月22日、西軍に属していた織田秀信の配下にあった竹ケ鼻城は、東軍の先陣を切る福島正則らの猛攻にさらされ、城主の杉浦五左衛門重勝は城に火を放って自害。

竹ケ鼻城を攻め落とした東軍は翌8月23日は岐阜城へ。

竹ケ鼻城は廃城となります。

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石碑と解説の看板がありました。

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竹ケ鼻城跡の向かい、竹鼻別院前に建つのは『お城地蔵』

8月22日の慶長の役の戦没者を弔うため、1950年(昭和25年)に建立されました。

毎年8月の地蔵盆の日には地域の人たちの手により追悼慰霊祭が行われています。