長良川左岸にある納涼台跡。

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岐阜市の長良川鵜飼。

織田信長、チャプリンも観覧した伝統の鮎漁。

チャプリンは昭和36年に山下幹司鵜匠宅も訪れてます。

金華山の麓で毎年5月11日から10月15日まで開催。

大正時代末期には、長良川左岸側に納涼台が設置されました。

納涼台は有料施設で、昭和4年の鵜飼乗船料が1円、納涼台の利用料はその4分の1程度。

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当時の写真を見ると、納涼台は川のすぐ近くにあって、鵜飼も観覧しやすそう。

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戦後の1953年(昭和28年)岐阜市は鉄筋コンクリート建ての新しい納涼台「大衆鵜飼観覧所」を建設。

ロビー、和室、売店があって飲食もできたそうです。

当時の入場料は50円。

屋上は無料開放されたとか。

 

この建物の存在は知ってましたが、納涼台ことは知りませんでした。

謎の廃墟で自由な方が住んでいると思ってました。

 

1975年(昭和50年)4月19日の岐阜日日新聞(岐阜新聞)には『閉鎖して五年、荒れ放題』というタイトルの記事がありました。

記事から一部引用します。

 

岐阜市内の長良川左岸、金華山のふもとにある納涼台が、五年前に閉鎖されてから放置されていたため、ベンチなどが腐り、ポンプや電線施設などがひきちぎられ、荒れ放題になっている。このため三月の定例議会で、管理方法について追求されたが、同市では納涼台を復活することで検討している。

 

新聞の記事によると、1965年(昭和45年)に納涼台が閉鎖されたのでしょうか。

当時は入り口に鍵もなく、昭和50年当時で荒れ放題だった模様。

納涼台の復活は40年以上経っても実現せず。

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納涼台の復活は難しいとは思いますが、長良川右岸側で試験的に「水上座敷」が行われてました。

プロムナードよりも近い舟の上で眺める鵜飼は優雅そう。

来年も実施されたら乗船してみたい。

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納涼台のある左岸側へ行ってみました。

鵜をかたどった柵、階段の手すりには有刺鉄線。

もちろん立ち入り禁止です。

納涼台は復活を果たすこともなく、いつか解体または崩壊するものと思われます。

長良川鵜飼の歴史の中で、納涼台があったことは伝えておきたいと思い今回の記事を書きました。