長良川鵜飼の開幕は5月11日。
長良川うかいミュージアムで開催中の特別展示「鵜飼も家康」を見てきました。
特別展示は7月10日まで。
1615年(元和元年)大阪夏の陣の帰りに徳川家康・秀忠父子は岐阜へ寄り鵜飼を観覧。
家康はその時に食べた鮎鮨がお気に入り。
鵜匠の山下家に伝わる『鵜匠由緒書』によると、家康は鮎鮨を十度おかわりしたという。
古文書なので難解な字でしたが“十度”の文字はこの目で確認しました。
徳川家康は河崎喜右衛門に鮎鮨の献上を命じます。
『長良川鮎鮨図巻』には鮎鮨の製造工程が厳格に決められていたことが記されています。
鮎鮨を食べた将軍に万が一のことがあったら大変。
当時は相当なプレッシャーがあったのでは。
鮎鮨はこのような桶に入れられて運ばれました。
5月から8月の期間、年に10回ほど。
46の宿場町をリレー形式で5日で江戸城まで届けられました。
1862年(文久2年)まで鮎鮨が献上されました。
240年以上も。
鮎鮨は真の岐阜の郷土料理。
鮎鮨は川原町の長良川デパートでも販売されています。
泉屋さんの子持鮎の熟れ寿し。
8切りが1620円。
細かく切り落とされたのが756円。
今回は8切りを購入。
秋に子持ち鮎を塩漬けにし、翌年にご飯に漬け替えてじっくり熟成。
究極の発酵食品。
クセが強めですが、ハマる人にはどハマりする珍味。
チーズのような風味でもあります。
日本酒に絶対合います。
漬物感覚でご飯に乗せて食べてもお茶漬けにしても美味しいです。
自分は家康が十度おかわりした気持ちが分かります。
どんなお味か家康になりきって食べてみては。
大河ドラマ「どうする家康」で大阪夏の陣の帰りのシーンがどう描かれるか楽しみです。
「結の舟」さんでも鮎鮓が販売されているようです。
岐阜大仏が有名な正法寺の近くにある看板が立っています。
今は普通の道路ですが、かつてはこの辺りに鮎鮨の製造所がありました。
Road to Edo!御鮨街道はここからスタート。
「御鮨所跡」
当時の説明が書かれていました。
岐阜公園界隈に訪れた際や、鵜飼が始まったら乗船前にでもご覧下さい。