岐阜県岐阜市を流れる長良川。
金華山の上にはキムタクも訪れた岐阜城。
5月11日から10月15日まで長良川鵜飼が開催されます。
鵜飼乗り場の近くにあるポケットパーク「鵜かがり」
今回はこちらから御鮨街道を歩いてみます。
江戸時代の1615年(元和元年)河崎喜右衛門が「御鮨所」を命じられました。
鵜匠が鮎を納め、御鮎所で作られた鮎鮨が将軍家に献上されました。
1619年(元和5年)に岐阜町は尾張藩領になり、1622年(元和8年)以降は鮎鮨は藩の献上品に。
1862年(文久2年)まで献上が続きました。
鮎釣りの季節がきましたね。鮎に米を詰めて熟成させたなれずしの一種・鮎鮓(あゆずし、鮎鮨とも)。長良川の鮎でつくる鮎鮓は将軍や朝廷へも献上された一品でした。画像は『公文録』より、慶応4年(1868、9月8日に改元され明治元年)の鮎鮓献上についての記述です。 https://t.co/iqkWptkA68 pic.twitter.com/PmYUvn8stw
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) June 20, 2022
「公文録」にも記述が残ってます。
平安時代(左)と江戸時代(右)の鮎鮨。これはなかなか強烈そうな… pic.twitter.com/6Q8hvkNcUc
— 黒織部 (@kurooribe) August 18, 2020
鮎鮨は塩漬けにして、腹の中にご飯を入れて発酵されたもの。
機会があれば食べてみたい。
岐阜から御鮨街道、東海道を通って5日で江戸まで届けられたそうです。
江戸に着いた頃に食べ頃になるように計算されていたとか。
昔の風情が残る御鮨街道。
将軍様に美味しい鮎鮨を食べてもらうため頑張って歩きます。
あちこちに御鮨街道に関する説明の看板。
足元にも。
橿森神社の近く。
加納。
中山道とも交わる区間。
チャプリンが映っている鵜飼のポスターが貼ってありました。
チャプリンは昭和11年5月18日と昭和36年7月22日の2回、長良川鵜飼を観覧。
加納城が近づいてきました。
加納城跡には石垣が残ってます。
近世加納城は徳川家康が関ヶ原の合戦後に築城を命じたお城。
初代城主は長篠の戦いで活躍した奥平信昌。
正室は家康の長女・亀姫。
当時は重要な場所だったことが想像されます。
加納城跡から笠松まではどこが御鮨街道か分かりませんでした。
適当に笠松に向かって歩き続けました。
笠松問屋跡。
笠松から一宮へ運んでいたそうです。
1回14人。
徳川家康にも鮎鮨を献上。
「どうする家康」に鮎鮨が出てきたら嬉しい。
笠松みなと公園に到着。
木曽川橋。
本気を出せば熱田ぐらいまでは歩けそうでしたが、自分は岐阜県民なので今回は木曽川を越えるのはやめておきました。
今回歩いた大雑把なルート。
所要時間:2.5時間(13572歩)
1日1万歩を歩いている方なら楽勝です。
帰りは笠松駅から名鉄電車に乗って戻りました。