4月6日(土)に岐阜市で開催された岐阜まつり宵宮へ行ってきました。
今回は太鼓の演奏から最後の花火までフル鑑賞。
岐阜まつりはお祭りもお客さんもすごかった。
綺麗に咲き誇るしだれ桜の間を、山車と神輿が伊奈波神社へ向かって進んでいきます。
つい最近まで、岐阜まつりと道三まつりを呼び名の違う同じお祭りだと勘違いしてました。
道三まつりは、1973年に放送されたNHK大河ドラマ「国盗り物語」がきっかけ。
昼間のみこしは1976年に岐阜青年会議所が伊奈波神社に古い神輿を借りてきて担ぎました。
意外と歴史は浅い。
岐阜まつりはずっと昔からあったとされます。
1891年(明治24年)に起きた濃尾地震。
その時に起きた火災で多くの古い記録が焼失。
国の重要文化財を目指す上で、根拠となる史料がないのがまず大きなハードル。
釜石町(現・本町3丁目)の町代が書いた「柴田家日記」によると、1725年(享保10年)3月3日に祭りに関する具体的な記述が出てきます。
「祭礼、首尾よく渡る」
「白髭、絡繰り丁寧なり。邯鄲、前代未聞の絡繰り、結構至極のことどもなり。もっとも仕損じそうらえども、けっこう至極のことどもゆえ諸人ゆるす。毎年のことながら、あまりの変わりたること故、とめおく」
この年は新作のからくりが披露されたようです。
江戸時代は現在よりも多くの神輿が出ていたと思われます。
伊奈波神社の神様は五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)
金神社の神様は渟熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)
橿森神社の神様は市隼雄命(いちはやおのみこと)
伊奈波神社の神様が父、金神社の神様が母、橿森神社の神様が息子。
4月の第1土曜日に伊奈波神社を出発した神輿が金神社、橿森神社へ巡行する神幸祭が岐阜まつり。
“岐阜まつり”という呼び方もいつから始まったのかは不明。
江戸時代に起源がある木造町神輿。
くぎを1本を使わずに作られているそうです。
日本は少子高齢化。
どの地域も担ぎ手不足が深刻。
今回は木造町の垣根を超えて一般公募。
2019年以来の出陣となりました。
ピカピカに輝く金の鳥がかっこ良かったです。
宵宮を盛り上げる掛け声。
山車・神輿の見た目だけでなく音も含めた熱狂ぶりをぜひ現地で体感してもらいたい。
大きな太鼓の神輿もインパクトありました。
すべての神輿が集まる総練り。
山車によるからくり奉納。
クライマックスの花火。
興味を持たれた方、来年の第1土曜は岐阜市へお越しください。
今回の記事を書くのに参考にした動画。