大河ドラマ「麒麟がくる」最終回。光秀は家康に大きな国を託した。

2月7日に大河ドラマ「麒麟がくる」最終回が放送されました。

衝撃的で余韻の残るラスト。

感動しました。

最終回の中で印象に残ったシーンは、光秀が本能寺の変を起こす前、家康の使いだった菊丸に書状を渡すシーンです。

「ただこの戦に勝ったあと・・・」

「何としても家康殿のお力添えを頂き共に天下を治めたい」

「200年も300年も穏やかな世が続く、政を行うてみたいのだ」

「もし・・・わしがこの戦に敗れても、後を頼みたいと・・・」

「そうもお伝えしてくれ」

「新しき世になった折また会おうぞ」

「これはわしからの一生に一度の願いだ」

「必ず届けよ」

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1582年に光秀は本能寺の変を起こすも、ものすごい早さで中国から引き返してきた秀吉に敗れます。

しかし、光秀の遺体をちゃんと見た者はいません。

岐阜県山県市にある桔梗塚。

明智光秀のお墓です。

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一説によると、山崎の戦いで討たれたのは影武者・荒木山城守行信。

光秀は「荒深小五郎」と名乗り西洞寺の林間に隠宅。

1600年の関ヶ原の合戦では、徳川家康率いる東軍に味方するため出陣するも根尾川で流され命を落とします。

山崎の戦いの後は美濃国で身をひそめ、家康が大きな国をつくるのに力になろうとしていたと思われます。

関ヶ原の合戦に勝利した家康は、1603年に江戸幕府を開き、1867年まで264年間続きます。

光秀が望んだ200年も300年も続く穏やかな世を実現したのは家康。

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ちなみに江戸川乱歩の探偵小説の主人公の名前は「明智小五郎」

荒深小五郎との関連は不明。

 

 各地に残る光秀生存説について詳しく解説されてます。