岐阜県関ヶ原町『今須宿』を歩く。

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“今須に居ます”のキャッチフレーズでおなじみの岐阜県不破郡関ヶ原町今須。

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今須宿は中山道美濃17宿の最西端であり3番目の大きさ。

今回は今須宿を少しだけお散歩してみました。

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今須宿本陣跡から国道21号を挟んで北に向かうと妙応寺へ(曹洞宗)

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JR東海道線の下に作られた妙応寺架道橋。

レンガ造りで良い雰囲気。

昭和29年竣工。

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妙応寺は1360年(延文5年)長江八郎左衛門重景が、母妙応尼のために創建した寺で、道元の弟子峨山紹硝が開山したと伝えられる。

長江氏は承久の乱(1221年)後、重景の曽祖父長江四郎左衛門秀景の時に、相模国より今須に移り住み勢力を張りました。

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慶長5年9月15日の関ヶ原の合戦で勝利した東軍・徳川家康。

家康は翌16日に今須宿本陣・伊藤新左衛門宅に立ち寄り疲れを癒します。

その時、家康が庭で腰掛けた石は伊藤家で代々守り伝えられます。

1870年(明治3年)の本陣廃止以降は、妙応寺境内にて展示。

天下を獲った家康が腰掛けた石ということもありオーラが出てました。

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再び中山道沿いに戻って問屋場。

山崎家の建物は当時のまま現存。

美濃17宿の中で唯一現存する問屋場。

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街道が賑わっていた江戸時代の1805年(文化5年)

大名の荷物を運んでいた京都の問屋河地屋は荷物を紛失。

途方に暮れた河地屋は金比羅様に願をかけ一心にお祈り。

無地に荷物が見つかり、そのお礼に建てられたがこちらの常夜灯。

探し物があればこちらで願をかけにきたい。

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宿場町らしい雰囲気の今須郵便局。

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今須小学校。

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今須中学校。
小学校と中学校とふたつの石碑が並んでるのが不思議だなあと思ってたら、こちらは小学校と中学校が併設された関ヶ原町立今須小中学校。

統廃合により2021年3月末をもって閉校。

古くは明治6年に「慣学義校」と称して現在の今須小学校が開校。

今須宿周辺に住んでいた方にとっては思い出の学校。

閉校間際のようすは『今須に居ます』ホームページにも記録されていました。