1945年(昭和20年)7月9日にあった岐阜空襲。
アメリカ軍の爆撃機B29が岐阜市を焼夷弾で攻撃。
岐阜駅から長良川までの区間は一面焼け野原となりました。
周りの建物が壊滅的な被害を受けた中で奇跡的に残った白い建物。
当時の十六銀行本店です。
1877年(明治10年)松屋町に「第十六国立銀行」を創業。
1896年(明治29年)「株式会社十六銀行」と改称。
1931年(昭和6年)旧本店竣工。
岐阜県図書館に所蔵されている『十六銀行のあゆみ』の中に、岐阜空襲の当日、宿直司令だった元取締役の手記が寄稿されてました。
けたたましいサイレンの音、嵐のような焼夷弾の落下する音。
周囲は火の海となり、逃げようにも逃げられない状況。
手記から一部抜粋します。
ここで行外へ逃れ出ても生死のほどはわからない。もう一度かなわぬまでも死力を尽そう。いけなければ銀行の社屋を枕に死のうと決意。
本店には幸い非常用井戸があり、懸命のバケツリレーで大きな被害を防ぎました。
ちなみに昭和17年頃、政府の「1県1行」の方針により、大垣共立銀行との合併話が進んでいたそうです。
戦況の悪化とともに合併話は消滅。
奇跡のような旧本店。
重厚で気品のある佇まい。
2007年(平成19年)に十六銀行が創立130周年を記念し徹明支店を改装。
「じゅうろくてつめいギャラリー」に生まれ変わりました。
過去にイベントが開催された時に中に入ったことはあります。
十六銀行の歴史、岐阜空襲のことを知ってから眺めると、建物の尊さが違います。
十六銀行のホームページを見ると、令和3年12月末をもってギャラリーの貸し出しは終了となってました。
耐震の問題かコロナの影響なのか。
もう中を見ることができないのが残念。