【富加町】清水寺〜梨割山(278m)〜加治田城跡へ。

富加町にある梨割山に登ってきました。

車は清水谷川公園の駐車場へ。

トイレもあります。

清水寺。

大同3年(808年)征夷大将軍・坂上田村麻呂の開基、延鎮大師が開山。

京都の清水寺と同じ創建らしい。

12月になったら、岐阜独自の今年の漢字を書いてもらいたい。

 

立派な二天門。

県の重要文化財。

登山口で入手した案内。

「堂洞軍記」の要約も掲載されてました。

びっしり解説が書かれてます。

清水寺から梨割山までは楽勝な登山道。

20分ほどで梨割山登頂。

標高278.2m

ベンチが設置されていますが樹木に覆われ眺望はなし。

立ち止まることもなく歩き続けます。

西の方がロープの設置箇所が多かったです。

下りが滑りやすいのでご注意を。

分岐点の看板。

「←のぞき岩」

やらしい気持ちはないですが、後に続く登山者のため一応のぞいてみることに。

のぞき岩。

高所恐怖症の方だと足がすくみそうな岩場。

ポージングを決めるのに良さそう。

岐阜のポーズのセルフ撮影を試みたのですが失敗しました。

岩場からの眺め。

のぞき岩から東へ進むと加治田城跡が見えてきました。

城跡周辺の樹木は伐採され堂洞城跡を見下ろすことができます。

休憩するならこのポイントがおすすめ。

眼下に見えるのは堂洞城跡。

雪の御嶽山もくっきり。

加城田城は戦国時代に佐藤氏が居城。

現代語訳の信長公記の中にも加治田城が出てきます。

 

ある時、加治田の佐藤父子が岸良沢を介して申し出た。信長はかねがね、美濃の国内に味方がほしいと願っていた時のことであったから、喜ぶこと一通りではなかった。「まず兵糧を確保して、蔵に備えておきなさい」と言って、黄金五十枚を岸良沢に渡し、先方へ贈った。

 

美濃を攻略したい信長にとって佐藤父子のありがたい裏切り。

 

1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで今川義元を破った織田信長。

拠点を清洲から小牧山へ移し、本格的に美濃攻略へ。

1665年(永禄8年)に堂洞城へ進軍。

加治田城の軍勢も加わり堂洞城は落城。

1566年(永禄9年)に信長は稲葉山城を攻略。

ここで“岐阜”が誕生します。

 

信長の美濃国を制する上で、加治田城主・佐藤紀伊守が当時のトレンドを読み、信長と通じていたのがポイント。

信長にとっても縁起の良いお城。

 

信長好きの方、山城好きの方は押さえておいた方が良い山。

自分も堂洞城跡の方を見ておきたい。

 

【今回の所要時間】2時間

yama300.info

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猿啄城跡と伊木山へも行っておけば、信長の美濃攻略ルートをたどれます。