富加町にある梨割山に登ってきました。
車は清水谷川公園の駐車場へ。
トイレもあります。
清水寺。
大同3年(808年)征夷大将軍・坂上田村麻呂の開基、延鎮大師が開山。
京都の清水寺と同じ創建らしい。
12月になったら、岐阜独自の今年の漢字を書いてもらいたい。
立派な二天門。
県の重要文化財。
登山口で入手した案内。
「堂洞軍記」の要約も掲載されてました。
びっしり解説が書かれてます。
清水寺から梨割山までは楽勝な登山道。
20分ほどで梨割山登頂。
標高278.2m
ベンチが設置されていますが樹木に覆われ眺望はなし。
立ち止まることもなく歩き続けます。
西の方がロープの設置箇所が多かったです。
下りが滑りやすいのでご注意を。
分岐点の看板。
「←のぞき岩」
やらしい気持ちはないですが、後に続く登山者のため一応のぞいてみることに。
のぞき岩。
高所恐怖症の方だと足がすくみそうな岩場。
ポージングを決めるのに良さそう。
岐阜のポーズのセルフ撮影を試みたのですが失敗しました。
岩場からの眺め。
のぞき岩から東へ進むと加治田城跡が見えてきました。
城跡周辺の樹木は伐採され堂洞城跡を見下ろすことができます。
休憩するならこのポイントがおすすめ。
眼下に見えるのは堂洞城跡。
雪の御嶽山もくっきり。
加城田城は戦国時代に佐藤氏が居城。
現代語訳の信長公記の中にも加治田城が出てきます。
ある時、加治田の佐藤父子が岸良沢を介して申し出た。信長はかねがね、美濃の国内に味方がほしいと願っていた時のことであったから、喜ぶこと一通りではなかった。「まず兵糧を確保して、蔵に備えておきなさい」と言って、黄金五十枚を岸良沢に渡し、先方へ贈った。
美濃を攻略したい信長にとって佐藤父子のありがたい裏切り。
1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで今川義元を破った織田信長。
拠点を清洲から小牧山へ移し、本格的に美濃攻略へ。
1665年(永禄8年)に堂洞城へ進軍。
加治田城の軍勢も加わり堂洞城は落城。
1566年(永禄9年)に信長は稲葉山城を攻略。
ここで“岐阜”が誕生します。
信長の美濃国を制する上で、加治田城主・佐藤紀伊守が当時のトレンドを読み、信長と通じていたのがポイント。
信長にとっても縁起の良いお城。
信長好きの方、山城好きの方は押さえておいた方が良い山。
自分も堂洞城跡の方を見ておきたい。
【今回の所要時間】2時間
猿啄城跡と伊木山へも行っておけば、信長の美濃攻略ルートをたどれます。