慶長5年(1600年)9月14日に起きた『杭瀬川の戦い』

f:id:yama300gifu:20210816063109j:plain

慶長5年(1600年)9月14日は「杭瀬川の戦い」が起きました。

天下分け目の関ヶ原の戦いの前日。

前哨戦があった岐阜県大垣市の「杭瀬川古戦場」を見に行きました。

f:id:yama300gifu:20210816063139j:plain

杭瀬川堤防脇に看板が立ってました。

f:id:yama300gifu:20210816063158j:plain

f:id:yama300gifu:20210816063252j:plain

川周辺の地形が変わり、戦いがあった正確な場所は定かではないですが、日吉神社があるあたりらしい。

f:id:yama300gifu:20210816063221j:plain

関ヶ原の決戦の前日、赤坂に徳川家康が着陣したという報せが入り動揺する西軍。

一部の兵は逃げ出したとか。

西軍の士気を高めるため、石田三成の家臣・島左近が、大垣城と赤坂の中間に位置する杭瀬川で東軍を挑発。

島左近は宇喜多秀家勢らと共に、東軍の中村一栄、有馬豊氏の隊を撃破。

この時は乱戦となり死傷者は東軍に多かったそうです。

前哨戦に勝利した西軍。

9月14日の午後7時頃に大垣城を出陣。

石田三成が関ヶ原に着陣したのは9月15日の午前1時頃。

西軍の着陣が完了したのは9月15日の午前5時頃。

ほぼ徹夜の厳しいコンディションで決戦を迎えることになります。

yama300.info

yama300.info