1936年(昭和11年)3月25日から5月15日までの52日間、岐阜市(現在の岐阜公園)で開催された「躍進日本大博覧会」
1936年といえば、日本国内では「二・二六事件」が起きた年。
ちなみに国鉄明智線、高山線が開通、岐阜市で下水道敷設工事が始まったのが1934年(昭和9年)
第2次世界大戦が始まる少し前の時代に、52日間に渡り岐阜市主催で開催されました。
当時の絵葉書が、ネット上に流通していたので収集してみました。
文章は右から左に読みます。
文字の書体や、鵜をかたどったデザインは時代を感じます。
躍進日本大博覧会の配置図。
金華山の麓に並ぶパビリオン。
タイワンリスが逃げ出した「台湾館」も表示されてます。
現在の噴水は当時からあったのでしょうか。
噴水の東側には「昆虫館」
名和昆虫博物館は1919年(大正8年)に開館。
「郷土館」
鵜をモチーフにしたシンボリックな建物。
どんな展示内容だったのか気になります。
「水族館」
配置図を見ると、近くには「子供ノ国」と「森永特設賣店」もあります。
当時の子供たちの人気スポットだったのでしょうか。
忠節用水では、鵜飼の実演も。
多くの観客が身を乗り出して見物してます。
長良川鵜飼では珍しい昼間の鵜飼。
当時の柳ヶ瀬の絵はがきもありました。
1945年(昭和20年)の岐阜空襲で被害を受ける前の貴重な姿。
博覧会があった頃の岐阜公園を想像しながら散策するのも楽しそう。
新たな資料を入手したら追記していきます。