清流・長良川と金華山と岐阜城。
岐阜市を代表するローケーションのひとつ。
天気の良い日は金華山(標高329メートル)に登ってみるのもおすすめ。
金華山には、多くの登山ルートがあります。
一番人気は岐阜公園から登れる七曲り登山道。
今回は七曲り登山道ではなく、岐阜城まで最短ながらも一番険しい「馬の背登山道」から。
岐阜公園には紫陽花が咲き始めました。
「伊奈波神社旧跡」
伊奈波神社は元々金華山にありました。
1539年(天文8年)斎藤道三が神社を現在の場所に移しました。
1600年(慶長5年)8月23日、関ヶ原の戦いの前哨戦「岐阜城の戦い」で織田秀信は徳川軍に攻められ陥落。
多くの女中が身を投じたとされる御手洗池の背後にあります。
ここから登山道は「めい想の小径」と「馬の背登山道」に分岐。
馬の背登山道は表記されませんでした。
馬の背登山道の登山口。
注意書きの看板があります。
この道は、途中断崖や難所が多く危険です。
老人・幼児には無理です。
強めの警告。
馬の背登山道を登り初めて程なく分かるのですが、本当に断崖があります。
手も使いながら慎重に登っていきます。
アスレチック性が高く個人的には好きな登山道ですが、他の七曲り登山道や、めい想の小径で慣れてからチャレンジした方が良いです。
親子で登られる方もそれなりに多いです。
そして難所。
剥き出しの木の根が恐ろしい。
第3回小島信夫文学賞を受賞した松田悠八さんの小説『長良川ースタンドバイミー1950』の中に、馬の背登山道に関する恐ろしいエピソードが書かれてました。
あの馬の背道は、城側のさむらいと敵が戦ってよう死んだとこやって、うちのばばが言っとったでな。馬の背のモミジの葉がどこよりも赤いのも、そのせいなんやて。さむらいがぎょうさん死んで、その血が急な馬の背道を流れて長良川まで赤う染めたとかいうことや。
岐阜城へ一番近いルートとはいえ、甲冑を着てあの崖を攻め登るのは大変困難だと想像されます。
多くの武士が命を落としたかもしれない馬の背。
およそ30分でゴールが見えてきました。
困難な登山道を攻略した後に眺める岐阜城の姿は格別。
心地よい風に吹かれながらしばし休憩。