お寺がない東白川村の『四つ割の南無阿弥陀仏碑』

スマホアプリゲーム「岐阜クエスト」で知って驚いたのですが、岐阜県加茂郡東白川村にはお寺がありません。

昔はありました。

  • 1870年(明治元年)神仏分離令
  • 1873年(明治3年)廃仏毀釈

明治政府は神道国教化の方針をとり、神仏分離令を公布したことで、仏教を排斥する廃仏毀釈の風潮が強まります。

f:id:yama300gifu:20211211061050j:plain

東白川村神土にある「四つ割の南無阿弥陀仏碑」

正面から見ると縦にまっすぐ亀裂が入ってます。

f:id:yama300gifu:20211211061138j:plain

横からも。

元々は1835年(天保6年)に常楽寺の山門脇に、飢饉、悪疫等に対する祈願と犠牲者の供養のために建立されました。

当時の苗木藩は廃仏毀釈をストイックに強行。

この石碑を壊すため、製作者である伝蔵が呼び出されます。

将来のことを考えたのか伝蔵は石碑を粉々にするのではなく、綺麗に四つに割り、池や畑の脇石や踏石として潜ませました。

 

時は流れ、時代は昭和に。

廃仏の嵐は収まりました。

当時こちらの地区では悪疫による不幸が続き“仏石埋没のたたり”という噂が流れます。

1935年(昭和10年)、天祐館の医師・安江浩平の主唱により四散した碑石を集めて、この場所に再建しました。

毎年8月15日には、盂蘭盆の供養が続けられています。

 

廃仏毀釈がいかに徹底して行われたかを示すものとして、1976年(昭和51年)6月には東白川村の史跡に指定されました。(東史第1号)

つちのこ探しの際にぜひお立ち寄り下さい。

f:id:yama300gifu:20211211061212j:plain

お寺がなく神社しかない東白川村は“神の村”

神のご加護を受けたい方は東白川村へ。

大晦日も除夜の鐘が鳴ることもなく、静かに新年を迎えます。

yama300.info