“決戦は可児” 『承久の乱・大井戸渡 古戦場』

先日「かぐや姫の散歩道」に行った時に「承久の乱・大井戸渡 古戦場」と書かれた看板がありました。

承久の乱といえば、現在放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でクライマックスで描かれるであろう戦い。

後鳥羽上皇VS北条義時。

まだ一度も観たことがない方も、12月になったら観た方が良いです。

「新もういちど読む山川日本史」に書かれている承久の乱の記述は、

後鳥羽上皇は、分散していた広大な天皇家領をまとめて手にいれ、強力な院政をおこない、あらたに西面の武士をおいて軍事力も増強した。

そして将軍実朝が甥の公暁に暗殺されたのを機会に、上皇中心の政治をもとめ、1221年(承久3)年京都で幕府打倒の兵をあげた。しかし、味方とたのんだ大寺院の僧兵や東国の武士が上皇方につかず、さらに幕府の危機をまえに、東国御家人が結束して上皇方を打ち破った(承久の乱)。

承久の乱までの歴史を少しおさらいしましたが、どろどろの権力争いが続きます。

トップへの執念が強いのは今も昔も同じ。

「鎌倉殿の13人」第23回で行われた「富士の巻狩り」は1193年(建久4年)

承久の乱まであと28年。

これから目が離せない展開が続きそうです。

承久の乱では、美濃国が重要な防衛ラインと考えられてました。

朝廷軍は摩免戸(前渡)には藤原秀康、三浦胤義(たねよし)、大井戸には大内惟信(これのぶ)ら主力軍を送りました。

決戦は各務原と可児。

 

美濃加茂側に陣取った大内惟信は、希代のカリスマ後鳥羽上皇がスカウトした大物御家人。

鎌倉幕府の序列1位、門葉(源氏一族)筆頭の平賀義信の長男で、平賀朝雅の兄。

木曽川から望む中濃大橋。

この辺りで決戦があったのでしょうか。

岩がゴツゴツしてて戦場の雰囲気が残ります。

後から知ったのですが、川の北側には朝廷軍の布陣推定地に「虚空蔵堂」、南側の土田下切弘法堂には、戦いの戦死者を弔う五輪塔が祀られているそうです。

併せて訪れておきたい。

「日特スパークテックWKSパーク」に駐車場有り。

yama300.info

承久の乱が起きる前に摩免戸(前渡)も訪れておきましょう。

文春新書の「承久の乱」

今回の記事を書くのに参考にしました。

分かりやすいです。

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