関ヶ原に残る戦争遺跡『玉の火薬庫跡』

関ヶ原鍾乳洞へ行った時に「旧陸軍火薬庫跡」と書かれた看板がありました。

火薬庫の前にある立哨台。

火薬庫内の監視・警戒にあたる歩哨(兵士)が昼夜を分かず交代で立っていたそうです。

火薬庫跡。

最初行った時はここが火薬庫跡だと気づきませんでした。

周囲の環境に溶け込んでいます。

戦争中も空から発見されることはありませんでした。

火薬庫の中はけっこう広いです。

これだけ綺麗な状態で残っているのがすごい。

魔法瓶のような二重構造で外気温や湿度の影響を受けないらしい。

火薬を取り扱うだけによく考えられてます。

解説のパネルもありました。

火薬庫の正式名称は「名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠」

1914年(大正3年)に開設されました。

その広さは270ヘクタール(東京ドーム58個分)

当時は東洋一の火薬庫。

関ヶ原メナードランドがあった辺りも火薬庫でした。

火薬庫跡から少し東へ行くと営門と立哨台がありました。

強固で立派な門。

当時の警備は厳重だったそうです。

 

第2次世界大戦の終結から78年。

当時のことを知る方も少なくなっていくことでしょう。

世界に目を向けると、今まさに戦争は続いています。

かつて日本で戦争があったことを忘れないためにも、こうした当時の火薬庫施設が残っていることは貴重。

 

戦との関わりが深い関ヶ原。

こうした遺跡も併せて鑑賞されてみては。

関ヶ原鍾乳洞、関ヶ原ウォーランドから近いです。

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