日本古代史上最大の戦乱「壬申の乱」は関ヶ原で起きた。

 

 東京大学史料編纂所教授・本郷和人氏の著書「壬申の乱と関ヶ原の戦いーなぜ同じ場所で戦われたのか」を読みました。

天下分け目の戦いというと、1600年に起きた「関ヶ原の戦い」を思い浮かべる方が多いでしょう。

この戦に勝利した東軍・徳川家康は1603年に江戸幕府を開き、1867年まで続きます。

672年に起きた「壬申の乱」

天智天皇の崩御後、近江大津宮(滋賀県大津市)で政権を握っていた長子・大友皇子に対して天智天皇の弟・大海人皇子が反乱を起しました。

現代に置き換えて想像すると絶対起こり得ない天皇の長子と弟による壮絶な戦い。

“古代史上最大の戦乱”とされます。

本書には

大海人軍は関ヶ原では戦闘を行っていませんが、戦略的な意味では、壬申の乱においてもっとも重要な場所であったことはまちがいありません。

 その後の日本の姿を変える争いが二度も起きた関ヶ原。

まさに歴史の町。

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岐阜市歴史博物館では、5月16日(日)まで特別展「壬申の乱」が開催中です。

壬申の乱では美濃国の兵の貢献が大きかったようです。

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上の2枚の写真は、関ヶ原町の不破の関跡にある、大海人皇子が靴を脱いだ石と兜を掛けた石。
「壬申の乱」展の展示品の中に江戸時代の「美濃不破ノ関図」があるのですが、そこに描かれている絵によると、不破の関は江戸時代にはちょっとした観光スポットだったようです。

壬申の乱で勝利した大海人皇子は「天武天皇」に。

中央集権体制を進めていきます。

 

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