関ヶ原町にある玉城跡(城山)へ行ってきました。
玉地区には何度も来てますが城跡があるのは知りませんでした。
写真に映っている道は環境省が整備する東海自然歩道。
道を歩いていけば「不破の関」方面に行けます。
玉城は今泉慎一さんの「死ぬまでに攻めたい 戦う山城50」で紹介されてました。
自力では死ぬまで気づかなかったかも。
他にも近場だと松尾山城、菩提山城も紹介されてました。
「クマ出没注意!」の看板がある場所の前が広いです。
数台駐車可能。
登山客が同時にたくさん来ることはなさそう。
車で行かれる場合は、県道229号を通り、エコミュージアム関ヶ原の東側にある細い道を走ります。
東海自然歩道からの分岐地点。
城山遊歩道・城山山頂と表記された道へ。
目安は20分。
「陸軍境」と刻まれたコンクリート柱。
関ヶ原町にはかつて東洋一と称される陸軍の火薬庫がありました。
1914年(大正3年)に開設され、終戦の1945年(昭和20年)まで。
玉の火薬庫は終戦と同時に米軍が進駐し火薬庫を閉鎖。
火薬類は現地で焼却処分。
日本の神社が好きな米軍兵が子供を見かけると、チョコレートやキャラメルをあげたというエピソードも。
火薬庫の一部は現在でも見学できます。
戦後に火薬庫跡地の開発が進み、メナードランドやスケートセンターが建設されました。
メナードランドの閉園は2001年。
一度は行っておきたかった。
いたるところにコンクリート柱。
火薬庫の周囲6kmは二重の有刺鉄線が張り巡らされていたそうです。
階段区間に入ると勾配がきつく息があがりました。
道自体は歩きやすいです。
麓から約15分で登頂。
山頂に盛り土があります。
こちらも史跡なのでしょうか。
城山の標高は307メートル。
南北朝時代に佐竹義春が足利利尊におわれここに砦を築いたという。
すごく興味深いのが、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの時に、豊臣秀吉の子・秀頼(1593-1615)が玉城に着陣する予定だったという説。
大谷吉継、石田三成の陣とも近い。
当時の秀頼はまだ7歳。
実際に戦闘に出ることはなくても、秀吉の実子・秀頼がいれば西軍の士気は多いに上がったに違いない。
松尾山へ陣取る小早川秀秋の裏切りもなかったかもしれません。
今後の研究を待ちたい。
山頂からは伊吹山が見えました。
小屋もあるので休憩にもおすすめ。
西軍推しにとってロマンある玉城。
山頂で西軍勝利の空想を楽しみました。
城山だけだとあっという間に登れてしまいます。
松尾山や他の関ヶ原スポットと併せて鑑賞するのが良いでしょう。
【今回の所要時間】30分
スタートゴール地点に車を停めました。